ぶっちゃけ

ぶっちゃけ、というのは京都弁なんですね。はじめて知りました。語源は「打ち明ける」の訛りだそう。

 

言語は文字ではなく音声が本質であるというのは、そうかもしれませんが…

言語は文字ではなく音が本質である。なぜなら文字を持たない言語が多くあるから。というのが言語学の大原則です。これに異を唱えるつもりはありませんし、欧米語やサンスクリット、そして文字を持たない言語についてはまさにそのとおりだと思いますが、でも日本語についてはどうなんでしょうか。言葉の意味を考えるとき音だけでなく文字も思い浮かべていると思います。たとえば仕事をしているとき、誰かが机の上の電卓を無断で持って行こうとしたとして、「おい、とるなよ~」と言ったら、言われた相手は「とるなとは何だ」と少しムッとすると思います。このとき相手は、もちろん「取るな」ではなく「盗るな」と思うからムッとするわけです。busyとbusinessは音で聞いても目で見てもすぐ同根だと分かりますが、急ぐと忙しいは同じだと思えません。背が高いと、背丈の高いも丈もどちらも由来は同じですがやはりそうは思えません。これは漢字のせいでtaka-i, takeという音が意識の中で隠れるからだと思います。

金を儲けるも子供を設けるも、どちらも「もうける」x

日本語は、自動詞・他動詞のペアだあっても漢字が違うせいでペアに見えないことがよくあります。たとえば「据える(すえる)」、「座る(すわる)」とか。
なお漢字が違うせいで、同根なのにそう見えない言葉の最たるものは、儲けると設けるだと思います。金をもうけるのも、子供をもうけるのも、実は同じ動詞が使われていますが漢字が違うせいでそう見えません。

後置定冠詞

英語のtheに相当する定冠詞を名詞の後ろに置く後置定冠詞は、筆者の知るかぎりブルガリア語、ルーマニア語スウェーデン語がそうで、ということはデンマーク語やノルウェー語もそうでしょうし、マケドニア語やセルビア語あたりもそうかもなと思います。むかしマークピーターセンが「日本人の英語」で英語のtheやaは名詞のアクセサリーではない。ネイティブは、I have a....、 「えーと a、a、a、… (あれ何だっけ)」のように悩む。冠詞が先で名詞は後、冠詞の方が大きな概念なのだとい行っていました。では後置定冠詞の言語の場合、どうなんでしょうか。少なくともピーターセンが言っているような悩み方はしないはず。でもアクセサリーと言うことはないでしょう。後から補強。後からはっきりしていくようなかんじでしょうか。

イタリア語はフィレンツェ

イタリア語の古文は当然ラテン語といいたくなりますが、厳密には現在のイタリア語の元となったのはフィレンツェ方言でありローマ方言ではないそうです。商業の中心都市フィレンツェルネサンスが興りダンテがフィレンツェ方言で神曲を書いたことで、経済/文化の両面でフィレンツェの優位が決定的になったようです。

イランはアーリア

イランの語源は「アーリア」。ドイツ人が自らを尊称するときのあの「アーリア(高貴な)です。この国名は1935年にパフレビー王朝がつけたもので、けっこう新しい名前です。イランの国語、ペルシャ語アフガニスタンタジキスタンでも話されており、それぞれ「ダリー語」「タジク語」と呼ばれます。名前は違いますがけっきょく同一の言語です。ペルシャ語アラビア文字で書きますが、インド/ヨーロッパ語族です。しかし語源はSOV(主語・目的語・動詞)の順です。正倉院の高床式倉庫は、イラン(ペルシャ)から伝わりました。イランは高原と砂漠の国のイメージがありますが、北のカスピ海沿岸は高温多湿で米作もやっているのです。

印欧語の動詞の語尾は、結局のところ代名詞

インド/ヨーロッパ語族の特徴は動詞が語尾変化することです。そして、その語尾はすべての印欧語で非常に共通性があります。たとえば一人称単数(わたし)では「mまたはそれが消失して母音になったo」、一人称複数(わたしたち)ではmsという音がよく出てきます。このmは、一人称代名詞の単数形、つまり英語のmeに相当する語だそうです。そしてmsは、meに複数形がついた形。つまり印欧語の語尾変化とは、動詞に人称代名詞が後置する形で付加されたのに他ならないのだとか。ちなみに英語はああ見えて、印欧語の古い形をよく残している古式ゆかしい言語だそうです。(吉田育馬 新ラテン語文法 p34)