能格の抽象理解

いま「グルジア語文法(国際語学社)」を読んでいます。ついに例の「能格」の説明に到達しました(p47)。能格は英語でergative、ギリシャ語のergon(英語のwork)から取られているそうです。なかなか理解しにくい能格ですが、大きくは「主格の強意」、つまり「私は」に対する「私が」「私こそが」と解釈すればよいようです。でも主格の強意というと、結局主格なわけで、じゃあ、なんで能格という別個の格があるのかが今ひとつ不明です。ところで、いつも不満なのですが、外国語だと主格、対格、属格、能格など文法用語を使った「抽象的な理解」が可能なのに、日本語になると「”私は”に対する”私が”」のように具体例でしか説明されません。「日本語を抽象的に理解したい」というのが私の願いです。ちなみに、グルジア語では、意味上の主語が能格となった場合、意味上の目的語は何と主格になります。これをこの本では「能格で重要なことは目的語を主格とすることもあることである」と書いていますが、そうなると、そもそも「主格」という呼び名を付けていること自体、無意味なのではという気がします。ドイツ語は、そのあたりに潔癖なようで、今は文法書でも主格、属格、与格、対格のような言い方はせず、1格、2格、3格、4格と抽象的な呼び名にしています。