映画、ブリキの太鼓をドイツ語で見ました

けっこう謎だったのが「ヨーロッパの国境の町では何語を喋っているのか」ということ。例えばドイツとポーランドの国境の町では何語を話しているのかと。日本のような島国ならともかくヨーロッパのような陸続きの町で、ここまではドイツ語、ここまではポーランド語とそうキレイに分かれないはずだ。

 

さて映画「ブリキの太鼓(Die Blechtrommel)」をドイツ語字幕で電子辞書に助けられながら見終わりました。日本語字幕で見ているときには分からなくて今回よく分かったこと。この映画、ポーランド語とドイツ語が混じっている。基本はドイツ語だがときどきポーランド語が出てくる。

 

映画の舞台はダンツィヒ。1920-39年は「自由都市ダンツィヒ」として、ドイツでもポーランドでもない場所だったようだ。戦時中はナチスドイツが自国領に編入。現在はポーランド所属で、都市名はグダニスクに変わった。

 

ダンツィヒの言語情況はWikiによればドイツ語が35万人、ポーランド語その他が12000人。映画の中では基本みなドイツ語を喋る。ただし重要な舞台となる郵便局では、玄関口に「ポーランド郵便局」とポーランド語で書いてある。職員はみなポーランド語を喋っている。

 

登場人物ヤンはふだんはドイツ語だが、勤務先の郵便局内ではポーランド語を喋る。別の登場人物でたぶんドイツ人のマツェラートはずっとドイツ語を喋る。この2人と三角関係にある女性アグネスは基本ドイツ語を喋る。しかし、マツェラートを罵るとき一度だけポーランド語を喋っていた。ただしアグネスの母は少数民族カシューブ人である。アグネスの葬儀では参列者はポーランド語の追悼歌を歌っていた。ただしアグネスの母は少数民族カシューブ人である。

その他、ユダヤ人はヘブライ語で哀悼していた。墓をうろつく乞食はhabemus dominum(神の国は我等のもとに?)とラテン語を喋る。脇役の小人女性はスペイン語を喋り、主人公オスカルを、オスカレーロと呼んでいた。これらは日本語吹き替え、あるいは字幕では分からなかったことである。

 

単純な話、ドイツ語の方が優勢な町だったので(都市名もドイツ語Danzigだし)、ドイツ人はドイツ語ばかり喋り、ポーランド人は普段はドイツ語、内輪で話すときはポーランド語という言語生活だったようだ。もちろんこれは映画の話だが、でもたぶん実際も同様だったのではないだろうか。

 

そのとき優勢な方の言語が優勢に話される。もっと露骨には「弱い方が強い方の言語を喋る」「弱い方がバイリンガルになる」という構図。ポーランド語が出てきたのは、「郵便局内での勤務のとき」「葬式のとき」「ののしるとき」だった。

 

主人公オスカルには少数民族カシューブ人の血が流れている。カシューブ語は「ポーランド語に近く、低地ドイツ語、ポラーブ語、プロシア語から影響を受けている」そうだ。映画のラストでオスカルは旅立つ列車の窓からカシューブ人の祖母にむけて「Babka(バープカ)」と叫んでいた。

 

Babkaという語はドイツ語の電子辞書に載っていなかったが情況から察して「おばあちゃん」の意味であろう。また言葉の響きは非常にスラブ語的だ。ということはBabkaはカシューブ語かもしれない。映画全編の中でカシューブ語(らしきもの)が出てきたのはラストのこのセリフだけだった。

 

ダンツィヒは戦後ポーランドグダニスクとなり、かつて人口の大半を占めていたドイツ系住民はオーデル・ナイセ線以西に強制追放された。カシューブ語を話すカシューブ人は現在10万人程度、今でも5万人が家庭でカシューブ語を話し、一部の郡では公式の場でカシューブ語が使われるという。