2016-08-01から1ヶ月間の記事一覧

言語は文字ではなく音声が本質であるというのは、そうかもしれませんが…

言語は文字ではなく音が本質である。なぜなら文字を持たない言語が多くあるから。というのが言語学の大原則です。これに異を唱えるつもりはありませんし、欧米語やサンスクリット、そして文字を持たない言語についてはまさにそのとおりだと思いますが、でも…

金を儲けるも子供を設けるも、どちらも「もうける」x

日本語は、自動詞・他動詞のペアだあっても漢字が違うせいでペアに見えないことがよくあります。たとえば「据える(すえる)」、「座る(すわる)」とか。なお漢字が違うせいで、同根なのにそう見えない言葉の最たるものは、儲けると設けるだと思います。金…

後置定冠詞

英語のtheに相当する定冠詞を名詞の後ろに置く後置定冠詞は、筆者の知るかぎりブルガリア語、ルーマニア語、スウェーデン語がそうで、ということはデンマーク語やノルウェー語もそうでしょうし、マケドニア語やセルビア語あたりもそうかもなと思います。むか…

イタリア語はフィレンツェ

イタリア語の古文は当然ラテン語といいたくなりますが、厳密には現在のイタリア語の元となったのはフィレンツェ方言でありローマ方言ではないそうです。商業の中心都市フィレンツェにルネサンスが興りダンテがフィレンツェ方言で神曲を書いたことで、経済/文…

イランはアーリア

イランの語源は「アーリア」。ドイツ人が自らを尊称するときのあの「アーリア(高貴な)です。この国名は1935年にパフレビー王朝がつけたもので、けっこう新しい名前です。イランの国語、ペルシャ語はアフガニスタン、タジキスタンでも話されており、それぞ…

印欧語の動詞の語尾は、結局のところ代名詞

インド/ヨーロッパ語族の特徴は動詞が語尾変化することです。そして、その語尾はすべての印欧語で非常に共通性があります。たとえば一人称単数(わたし)では「mまたはそれが消失して母音になったo」、一人称複数(わたしたち)ではmsという音がよく出てきま…

凄まじいとすさんだ生活

「凄まじい」の語源は「すさむ」でした。すさむは漢字で「荒む」と書きます。「すさんだ生活」「吹きすさぶ風」「荒れすさんだ町」といいますが、すさまじいと同根とは今日まで気がつきませんでした。

「全て」の語源

「すべて」の語源は「統べる(すべる)」(まとめる)のようです。「そうする→そうして→そして」と同様に、「統べる→統べて→すべて」となるわけです。つまり「まとめて」ということです。漢字は本当に目くらましだと思います。全てと統べてだとぜんぜん違う…

かぐわしいの語源

かぐわしいは、今まで「騒ぐ・騒がしい」と同様、「嗅ぐ・かぐわしい」だと思っていました。しかし辞書を見ると、「香+くはし(細し)」の合成語とのことでした。ところで香は音読みで、くはしはヤマト言葉。何でしたっけ、あの湯桶読みじゃなかった、その…

「次」「嗣ぐ」「継ぐ」「接ぐ」「続く」、ぜんぶ意味は同じ

「次」も「継ぎ」も根本の意味は同じです。継続しているから次。あ、継続の中にほら「継ぐ」という漢字がある。ということは「接ぐ」も「嗣ぐ」も、そして「続く」も結局同じなのでしょう。どれも「つぎ」であり、「順序をもって長く続くものに置いて、前の…

「住む」「済む」「澄む」、もとの意味はぜんぶ同じ

日本語では漢字のおかげで本来同じ言葉が違って見えることがあります。たとえば「住む」「済む」「澄む」もその例です。すべて「すむ」という一つのことばですが漢字が違うので全く別の言葉に見えます。「すむ」のもともとの意味は、乱れて濁っていたものが…

ドイツ語は隅々まで単語で塗りつぶすような言語だなと

ドイツ語は隅々までキッチリと、あいまいなところを絶対に作らないよう、単語で埋め尽くすような言い方をする言語だなと、いまマンガ「バクマン」のドイツ語版を読んでいて思います。たとえば次のような文 日本語原文:(1巻 136ページ)「うん そうね好きだ…