凄まじいとすさんだ生活
「凄まじい」の語源は「すさむ」でした。すさむは漢字で「荒む」と書きます。「すさんだ生活」「吹きすさぶ風」「荒れすさんだ町」といいますが、すさまじいと同根とは今日まで気がつきませんでした。
「全て」の語源
「すべて」の語源は「統べる(すべる)」(まとめる)のようです。「そうする→そうして→そして」と同様に、「統べる→統べて→すべて」となるわけです。つまり「まとめて」ということです。漢字は本当に目くらましだと思います。全てと統べてだとぜんぜん違うように見えますが、よく考えると両方「すべて」であるわけです。また天皇を「すめらのみこと」ということがありますが、この「すめら」も「統べる」と同根のようです。m音とb音は発音の口の動かし方がほぼ同じですから。以前の記事にも書きましたが、昴、すぼめる、見すぼらしい、すばらしい、せばまる、統べるはいずれも一つの語源から派生しています。今回、それに「すべて」が加わりました。
「次」「嗣ぐ」「継ぐ」「接ぐ」「続く」、ぜんぶ意味は同じ
「次」も「継ぎ」も根本の意味は同じです。継続しているから次。あ、継続の中にほら「継ぐ」という漢字がある。ということは「接ぐ」も「嗣ぐ」も、そして「続く」も結局同じなのでしょう。どれも「つぎ」であり、「順序をもって長く続くものに置いて、前のもののあとにすぐ続くこと」です。ただ漢字が違うと、語源が同じ事が見えなくなります。
「住む」「済む」「澄む」、もとの意味はぜんぶ同じ
日本語では漢字のおかげで本来同じ言葉が違って見えることがあります。たとえば「住む」「済む」「澄む」もその例です。すべて「すむ」という一つのことばですが漢字が違うので全く別の言葉に見えます。「すむ」のもともとの意味は、乱れて濁っていたものが落ち着いて透き通ってくるということで、その意味では「澄む」が基本語義にいちばん近いです。ここから、ひとつところに落ち着くということで「住む」。そして乱れていた物が落ち着くということで「済む」となりました。
ドイツ語は隅々まで単語で塗りつぶすような言語だなと
ドイツ語は隅々までキッチリと、あいまいなところを絶対に作らないよう、単語で埋め尽くすような言い方をする言語だなと、いまマンガ「バクマン」のドイツ語版を読んでいて思います。たとえば次のような文
日本語原文:(1巻 136ページ)
「うん そうね好きだった」
「じゃあ なんで好きって書かなかったんですか?」
ドイツ語訳:
(Ja,stimmt. Ich war in ihn verliebt )
Und warum haben Sie ihm das in den Briefen dann nicht geschrieben?
このドイツ語を直訳すると「ではどうしてあなたは彼にそれを一連の手紙の中でそのとき書いて伝えなかったのですか?」となります。長いです。単語多いです。あいまいな箇所を作らないよう単語で塗りつぶしていくような文章だと思いました。
英語訳はけっこうあっさりしています。
(Yes, I did love him)
Then why did't you write that in the letters
またドイツ語訳は文を最後まで読まないと全体の意味がつかめないような気がします。
Und (では)
warum(なぜ)
haben (したのですか)
Sie(あなたは)
ihm(彼に)
das(それを)
in den Briefen(それらの手紙の中で)
dann(そのとき)
nicht geschrieben ? (書いて伝えなかったということを?)
それともこれは私のドイツ語力が足りないからそう思えるだけで、ドイツ人にとっては最後まで読まなくても文意はつかめるのでしょうか?